誰か指摘してやれよ問題

旅二日目。岡山県からのスタート。

駅を歩く人に変化が現れ始めた。

 

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 小倉駅で食べたかしわうどん。普通。

 

九州に入ってから、人の歩くスピードが遅くなった気がする。東京だと、駅を歩く人はとにかく速いので気になってしまう。

田舎には合理的でないものが沢山ある。ちんたら歩く人。近所付き合いの煩わしさ。自治体の資金不足ゆえの電車・バスの少なさ。

一方都会では人は早く歩く。田舎のような近所付き合いの煩わしさもない。電車・バスはいくらでもある。

そんなもんだから、若者は「ああ都会便利じゃん」と都会に出ていくのだが、その二面性を理解していないと後悔する事になる。社会は良いところ取りができないから。

都会には待機児童が沢山いる(特に政令指定都市に多い)。周りに頼れる人がいないので、子供は完全に自分とそのパートナーだけで最後まで責任を持って育てなければならない。近所で友達ができるなんて事はあまり無い。

一方、近所付き合いが面倒な田舎は、裏を返せば近所のおじさんやおばさんが自分の子供の世話なんかもしてくれるという事でもある。収入がいくら安かろうと、近くに住む人の冠婚葬祭は皆で祝ったり、助け合ってやりくりしていく。近所付き合いの煩わしさは面倒見の良さと表裏一体だ。

 

自分は東京で就職をする予定だ。都会は共同体の空洞化が著しい。自分にできる、この問題に対する最善の答えは「就業時間を少しでも多く減らす事」だった。就業時間が短ければ、共同体に関わる時間が増えるから。ただそんな都合の良い会社は日本には少ないし、入るのが難しい。それがここまで自分の就活を長引かせた原因の一つだ。

だから自分には残業が多くても金さえ多く稼げれば良いという人の気持ちはよく分からない。尤もこれからどうなっていくのかはまだ分からないけれども。

 

田舎的なもの、都会的なものを感じる事は他にもある。

中途半端に頭が良い人は、ポリティカルコネクトネス(以下PC)をよく守る人が多い。PCを守る事自体は全く問題無い。だけどたまにいき過ぎたPCにウンザリさせられる。

どう見ても可愛く無い人「今日も可愛いね!」と言うのが最も分かりやすい例だろうか。どう見ても痩せた方が良い人「全然痩せる必要なんかないよ!」とか。

社交辞令なら良いのだが仲の良い人同士でそれをやっているから怖い。勘違いさせたままにしておくあなたの方がよっぽど残酷だ。勘違いしたままの子の末路は悲惨だ。誰か指摘してやれよ。

 

片田舎のヤンキーの内ではそんな事はありえない。服がダサかったら指摘し合うし、太ってたらお前太ってんな、痩せろよ、と冗談を込めて言い合う。ある意味こちらの方が高度なコミュニケーションだ。ただPCのことは一切頭に無いので、時に他人を傷つけてしまうのが彼らの欠点だ。

 

そんなこんなで、普段自分が何も言われないのはPCに守られてるからだって事を自覚しないといかんなーとそんな事を考えていたら長崎に着いた。もう夜なので、観光は明日します。おやすみなさい。